義理チョコはお菓子会社以外誰も得しない
ハッピーバレンタイン。
きょうはバレンタインデーである。(投稿時間が日付を回ってしまったことが悔やまれるが)
皆さんいかがお過ごしだろうか。
バレンタインデーはクリスマスに次いで異性を意識するイベントである。男子学生はこの日を楽しみにしている方も多いのではないだろうか。
かくいう私も、中学生、高校生の頃はチョコがいくつもらえるかそわそわしている学生の一人であった。
友達ともらったチョコの数を競ったり、気になる子からチョコがもらえるのを待ち望んでいたり、靴箱の中をさりげなく確認したりと、楽しみなイベントであった。義理チョコでもなんでももらえれば嬉しかった。
一方、大学生に入ってからはバレンタインを意識する機会は少なくなった。
まず、大学生(文系)は1月でテストが終わってしまうため、2月14日に友達と会わない。デートや前もって会う予定があるならまだしも、たまたま会ったところでチョコをもらえる可能性はまあまあ低い。
それでも、男子学生にとってはそこそこ期待してしまうイベントである。 女子も気になる人に気持ちを伝えたり、お菓子を作ること自体が好きな人もいて、嫌なイベントではないと思う。
ところが、この考えは社会人になると180度変わってしまう。
学生時代は、女性は自分があげたいと思う人にお菓子をあげればよかったのだが、社会人になるとそうはいかない。
女性社員にとって男性社員と良好な関係を築くことは仕事を有利に進めるために重要なことである。 従って、上司や同僚に義理チョコを配ることになる。
しかも、同僚ならまだしも、自分より目上が人となるとアソートのチョコを1個渡すわけにはいかない。袋や箱に入ったお菓子を一人一人に配るのが普通なのではないだろうか。
その場合、1個700円のお菓子を20人に渡すとして、14,000円である。上手く安いやつを見つけても10,000円ぐらいはかかる。
それも、女性比率の低い会社だとひどいことになる。
例えば、男性と女性の割合が5:1の会社では1:1の割合の企業に比べて女性の負担が格段に増える。ちょうど5倍になるとは限らないが、「他の女性社員があげるだろうからあの人にはあげなくていっか」と考えることができず、結果として女性の負担が増える。
社交辞令の意味合いが強いが、それにしても10,000円は良い投資とは言えない。あげなかったことで10,000円に相当する損害が起こるとも考えづらい。
しかし、そこで出費を抑えるためにお菓子をあげるひとを限定してしまうと、もらえなかった男性は格差を感じて社内の雰囲気がギスギスしてしまうかもしれない。自分はバレンタインを挙げないスタンスだと示せればよいのだが、他の女性社員があげていると「なんであいつはくれないんだ」ともなりかねない。
ところが、義理チョコをもらうことは必ずしも男性にとってプラスとは限らないのが現状である。
課長や部長クラスになると、その分お菓子をもらう数も増える。
しかし、中年男性で甘いお菓子が大好きという人は女性に比べて少ないし、体系が気になる年頃だとお菓子を食べることすらためらわれる。
そうすると、お菓子は結局その課長の家庭内で消費されることになる。
さらに、お菓子をもらえばもちろんお返しが必要になる。しかも、暗黙の了解としてもらったものより価値が高いものを返す必要がある。管理職の人は義理チョコをたくさんもらったうえ自分で食べきることもできず、高いお返しをもらった人全員に返さなくてはならないのだ。
だから、実は職場でお菓子をもらうことを良いと思っていない男性もいるのである。
女性は無理して義理チョコを配るが、男はそれを求めていないという、「誰得」状態が起きているのだ。
ではこの義理チョコ制度で得するのは誰かというと、それはもちろん製菓会社である。
ロッテや明治、GODIVAなど、特にチョコレート菓子を扱う会社にとってはバレンタイン市場はビッグビジネスである。このイベントに乗っからない手はない。
そのために、優秀な広告クリエイターたちが頭を振り絞ってバレンタイン用のCMを制作し、今年もバレンタインの季節がやってきたということを消費者に思い出させる必要があるのだ。
消費者の経済事情を考えたら、バレンタインデーのギフトを挙げる行為は好ましくない。私が会社の経営者だったらこの風習はなくすと思う。
そうすればお菓子をあげた、あげないで社内の雰囲気が変になることはないし、社員にはその浮いたお金をもっと有意義なことに使ってほしい。
そもそも私は甘いお菓子が大好きというわけではないので、バレンタインにはせめてチョコじゃなくてサラダチキンか粉末のプロテインが欲しいと思ってしまう。
今思えば中高時代の2月14日が最も理想的な「バレンタインデー」だったなあとしみじみ感じる。